75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:00:19.51 ID:fCU0S0Zo
kancolloda2_9505

史実を見て、霞への愛情が増した

154: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:05:20.88 ID:DO3VXxGW
>>75
霞はショーフクさんが水雷戦隊旗艦として乗り込んでたよな

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:08:55.68 ID:fCU0S0Zo
>>154
そうそう。清霜救助の話とかすごい

>>161
初ドロップが霞だったから、ずっと愛でてるよ
というか霞にも教団があったのか(驚愕)

161: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:05:55.51 ID:2d21DLkT
>>75
霞教へようこそ!歓迎しよう、盛大にな

293: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:14:42.99 ID:NnEgLtjH
>>75
基本最初の印象で感じ悪い艦娘は史実で大きなトラウマを負ってること多いんだよな・・・

343: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:18:16.59 ID:Q2sudrvd
>>293
曙を掬っておくれ…

377: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:20:29.26 ID:NnEgLtjH
>>343
うちでは改にしたで
今では元気に遠征やってるわ

368: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:19:56.69 ID:fCU0S0Zo
>>293
生意気な娘だなあ
とか思ってたらその実歴戦の猛者だった…
駆逐艦は当時一番働いてただろうから、その辺思うとなんかな

387: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:21:00.32 ID:m8Axkji8
>>368
???「私もがんばったっぽい?」

398: 名無しさん@お腹いっぱい。 2013/09/06(金) 19:21:32.63 ID:BzNIwS5n
>>368
正直、駆逐艦ズが素人扱いされてるともにょる



                     


霞さんの史実、読み応えありました。下のほうに貼り付けましたので少し長いですがよろしかったらどうぞ。



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霞は1939年6月、朝潮型駆逐艦10番艦として浦賀船渠で竣工した。
そして姉妹艦の霰、陽炎型の陽炎、不知火とともに第二水雷戦隊所属の第十八駆逐隊を編成することとなる。
主に空母の護衛を担当し、かの真珠湾攻撃で初陣を迎えることとなる。その後はラバウルへ向かう空母を護衛。 二航戦によるポートダウィン攻撃、ジャワ南方機動作戦にも参加し、空母同士の本格的な機動戦となったセイロン沖海戦にも護衛として参加した。

同年6月、ミッドウェー海戦が勃発。しかし霞は今まで担当してきた空母機動部隊の護衛ではなく、近藤中将率いる攻略部隊に参加。結果はご存知の通り。霞は長い間守ってきた空母たちの最期を見届けるどころか、護衛にすらつくことができずに殆ど全てを失ってしまったのである。

そして、ここから霞と帝国海軍の転落が始まった。

ミッドウェー海戦から間もなく、霞は第十八駆逐隊司令艦として千代田とキスカへ向かう輸送船の護衛に当たる。
しかし、キスカ湾にて濃霧のために停泊していたところに米潜水艦グロウラーが襲い掛かった。霞の一番砲塔下に魚雷一本が命中し、艦体前部が一挙に破断。浸水と火災が発生し、乗員10余名が死亡する惨事となった。
グロウラーによる被害はこれだけにとどまらず、この攻撃により姉妹艦霰は轟沈。僚艦の不知火も霞同様に大破。第十八駆逐隊は一瞬にして陽炎を除く全艦が大損害を被ってしまったのである。

しかし、霞の受難はある意味ここからが本番と言えるかもしれない。
一撃で霰を失い、残存艦も3隻のうち2隻が大破という事態に海軍内では第十八駆逐隊に対して「油断があったのではないか」と非難の声が上がった。結果、司令艦の霞に座乗していた第十八駆逐隊司令官宮坂大佐は責任を取って切腹自決をすることになってしまったのである。

雷に曳航されて本土に戻った霞は舞鶴海軍工廠にて翌年6月までかかる修理を余儀なくされた。ここで霰の轟沈と霞、不知火の長期にわたる修理により行動不能となった第十八駆逐隊は解隊されることとなる。唯一行動可能だった陽炎も霞、不知火の修理を待たずに配置替えをされた。

修理の終わった霞は第五艦隊第一水雷戦隊隷下の第九駆逐隊に編入。吹雪型と朝潮型という性能の大きく異なる艦級同士を半ば数合わせのようにして強引に編成した駆逐隊であった。
こんな部隊がまともな戦闘に参加できるわけもなく、任務は輸送船団の護衛が中心であった。霞は空母機動部隊の護衛として戦場を駆け、華々しい戦果を挙げたかつての日々と打って変わって非常に地味な任務をこなすこととなる。
その後構成艦の転属、轟沈などによる第九駆逐隊の解隊により、霞は第十八駆逐隊を再結成。ここで霞は不知火と再会することとなる。

が、その再編第十八艦隊の初陣がよりにもよってあのレイテ沖海戦。
第十八駆逐隊は志摩中将麾下の第五艦体第二遊撃部隊に配属され、西村艦隊突入に続けてスリガオ海峡よりレイテ湾に突入する算段であった。
しかし、スリガオ海峡に差し掛かったところで第一水雷戦隊旗艦の阿武隈が敵魚雷艇の攻撃により小破。戦闘続行が困難となり、木村昌福少将を始めとした第一水雷戦隊司令部は急遽霞に移乗して戦闘を続行することとなる。最終的に志摩艦隊はレイテ突入を断念。コロン湾まで撤退することとなった。
ここで再び霞に悲劇が襲い掛かる。コロン湾までの撤退の途中、僚艦不知火が栗田艦隊の軽巡鬼怒、駆逐艦浦波の救助中に米軍艦載機隊の攻撃で戦没してしまったのだ。
こうして霞は開戦からの戦友だった第十八駆逐隊の僚艦を全て失い、とうとうひとりぼっちになってしまったのである。

霞ただ1隻を残すのみとなった第十八駆逐隊は当然のごとく解隊。霞は第七駆逐隊に編入される。この第七駆逐隊は由緒ある駆逐隊であり、結成当時から1944年まで所属艦の戦没が一切無かった隊であった。が、同年以降は1月に漣、11月に曙が戦没しており、霞が編入された時には当初からの所属艦は潮ただ1隻であった。この第七駆逐隊には後に第六駆逐隊最後の生き残りである響も編入されている。潮、響、そして霞と、由緒ある第七駆逐隊に各駆逐隊最後の生き残りを編入した精鋭部隊と言えば聞こえはいいが、その実情は死にぞこなった駆逐艦をかき集めたあり合わせの居場所に他ならなかった。

この後霞はオルモックへの輸送作戦の護衛を第一水雷戦隊旗艦として担当。そして木村少将の第二水雷戦隊司令就任と共に霞も同戦隊旗艦に就任することとなった。
そして12月のミンドロ島への攻撃作戦では重巡を含む艦隊でまさかの旗艦を担当。この決定は駆逐艦ならではの機動性があり、何より木村少将とも縁が浅からず乗員とのなじみも深いことが要因であったとされる。
ミンドロ島の米軍の上陸拠点への攻撃を敢行、敵上陸地点に砲雷撃を加え輸送船1隻を大破炎上させ、米海軍の輸送物資集積所を破壊した。ここにきて霞と帝国海軍は久々に、そして最後となる勝利をつかんだのである。

1945年2月には北号作戦に伊勢、日向の護衛として参加。しかし既に水上艦の動ける場所は狭められており、霞も それまでのように海原を駆けることはできなくなっていた。第七駆逐隊も1944年11月に潮が損傷により本土で行動不能となり、翌年1月に響が加わるまでは実質上霞1隻のみの駆逐隊と化していた。
その後、霞は第七駆逐隊から第二十一駆逐隊に編入される。

そして迎えた1945年3月、天一号作戦。霞は第二水雷戦隊隷下の艦として大和とともに沖縄への水上特攻へ参加することになる。運命の1945年4月7日、坊ノ岬沖にて米軍の艦載機隊と遭遇。数百単位の艦載機が霞たちへと一挙に襲い掛かった。13時25分、霞は直撃弾2発、至近弾1発を受けて缶室に浸水。そのまま航行不能となった。
大和と連合艦隊の最期と乗員の救助を見届けた霞は、16時57分、僚艦冬月の砲撃処分によって海底へと沈んでいった。最期の移乗の際、霞の乗員たちは全力を尽くしたという誇りから、皆胸を張って退艦したと伝わっている。

霞の戦没により、全10隻が建造された朝潮型駆逐艦は全艦戦没。霞も5月10日に除籍されている。


                     引用元:http://uni.2ch.net/test/read.cgi/gameswf/1378460759/
                                 
                              史実引用元:http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%9C%9E%28%E8%89%A6%E3%81%93%E3%82%8C%29